富谷栄

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富谷 栄(とみたに えい[1][2]1901年明治34年〉11月23日[1] - 1983年昭和58年〉4月24日[3])は、日本政治家鳥取県西伯郡余子村長(11代)[3]。余子村会議員[1]。境港町議会議員[1]境港市議会議長(3代、7代)[4]。旧姓・嵯峨里

鳥取県西伯郡余子村(現・境港市)出身[1]。嵯峨里長太郎の三男[1]余子小学校卒業後、富谷家養嗣子となる[1]農業に従事する[1][注 1]

1933年、余子村会議員に当選する[3]松江連隊に服役後支那事変及び大戦に再度応召[1]1945年11月に朝鮮から復員した[3]

1947年、余子村長に就任する[3]。村長として中浜村との組合立誠道中学校の開校建設、保育所開設と移転新築、小学校増築等次代を担う子供たちの育成に努める[3]1954年8月に村長退任[3]、同年9月に境港町議会議員に当選する[7]

1956年市制実施、市会議員となる[1][注 2]1958年9月に境港市議会議長就任、1964年9月に同議会議長就任[4]

人物

富谷について、次男の義人は「父は余子村長の最初と最後を富谷家が務めたこと、黒字で合併したことを自慢していた」と述べている[3]。趣味は養鶏金魚飼育[1]。宗教は曹洞宗[1]。住所は境港市竹内町[2]

栄典

家族

富谷家

脚注

参考文献

外部リンク

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