寺島権蔵 From Wikipedia, the free encyclopedia 寺島権蔵 寺島 権蔵(てらしま ごんぞう、1888年(明治21年)1月18日 - 1940年(昭和15年)4月9日)は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、富山県三日市町長。 富山県下新川郡三日市町(現黒部市)出身。早稲田大学政治科卒業。独立新聞記者、東京毎日新聞記者として活動するかたわら、合名会社横山鉱業部経済調査嘱託を兼ねた。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は5回を数えた。さらに三日市町長も兼ね、5期在任した。また廣田内閣では商工参与官に任命された。 1937年(昭和12年)、洪水で流失した橋を再度建設し、権蔵橋と名付けられた。 その他、富山日報社取締役・富山海底遊覧船株式会社取締役・魚津製氷会社社長などを務めた。墓所は多磨霊園[1]。 脚注 ↑ “寺島権蔵”. www6.plala.or.jp. 2024年12月3日閲覧。 参考文献 『衆議院要覧(乙) 昭和十二年十一月』衆議院事務局、1937年。 典拠管理データベース 全般 ISNI VIAF 国立図書館 日本 Related Articles