寺本英
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指導者として
日本の数理生物学の実質創始者であり、第一人者であった。
寺本は日本の生物学、進化論を、現在の進化の総合説に革新した。その契機となったのは、57歳の寺本英を代表として文部省の特定研究プロジェクト「生物の適応戦略と社会構造」1982年により、多くの若手を引き込んで研究を遂行したことによる。 それまでは、集団を単位に分析がなされていたが、これ以後、個体を単位に、生物の集団(生態学)、進化を捉える方向に変わった。
集団を中心とする見方は、今西錦司を頭に、生態学、霊長類学など、多くの成果を生んでいたが、寺本を中心とする若手が反旗を翻した。ただ、寺本自身は、今西の弟子の筆頭格である梅棹忠夫のオタマジャクシに関する数理研究を発展させ、多くの論文を書くなど、今西の孫弟子ともいえる存在でもあった。
ノーベル賞
コンピューターのない戦後間もないころ、手計算で生物学の理論を確立した。一方、アメリカで同じ試みを、コンピューターで計算した学者はノーベル賞を取ったという[誰?]。国力の差が、業績の差になる一例である[2]。