ここでは寺谷弁天の歴史について説明する。
寺谷弁天の前身である寺谷大池は、永享年代に寺谷大池があった確証は無いが、建武元年時期には、寺谷大池がすでに存在していたとしている[1]。
鶴見川は高低差が少なく海水が逆流しやすいため、農業用水として利用するには不向きであった。そのため鶴見では灌漑用の溜池が多く利用され、寺谷大池もそのうちの一つであった。しかし、工業化が進むと灌漑の必要がなくなったため、大正時代に、池の一部を記念として残し、その他は埋め立てられた。
現在の寺谷弁天は、弁財天を祀る神社であり、池の中央の岸近くに四角い弁天島(中島)があり、その上に鉄骨の覆い殿を建て、中に本殿を安置している。