山梨県北都留郡賑岡村(現在の大月市)出身。1900年(明治33年)、済生学舎を卒業。東京小児科婦人科院を開業し、東京府医師会理事を務めた。東京府会議員、同参事会員、東京市会議員、同参事会員を歴任。また『江東公論』の主筆を務めた。
1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙(東京府第4区)に出馬し、当選。第17回でも再選を果たした。
1931年(昭和6年)、東京市疑獄事件(板舟権疑惑・青物市場疑惑等)により東京地方裁判所で懲役2ヵ月・追徴金1200円の判決を受けたが[5]、翌年に東京控訴院で無罪判決が下った[6]。墓所は多磨霊園。