1893年(明治26年)開坑[1]。事業主体は古谷鉱業(後の新光産業)とされるが、当時の足立村は中小の鉱山が乱立した状態で記録も錯綜しており、詳細は不明な点が多い[2]。1935年(昭和10年)に「小倉炭鉱」に改称し[2]、1938年(昭和13年)から本格的な採鉱を開始。全盛期の1950年頃には年間約20万トンを出炭し、約2000人が働いていた[1]。当時は炭鉱の中心部を貫くように国鉄添田線(初代、後の日田線)が走っており(東小倉駅 - 石田駅間の貨物支線、1962年に廃線)、同線から分岐して運炭のための引込線が引かれていた。
一方で当時は事故も多発しており、中でも1940年(昭和15年)の出水事故では40人が犠牲になっている[3]。
しかし1950年代後半以降は出炭量も減少し、1965年(昭和40年)4月末に閉山した[2][3]。