小国城 (陸奥国)
青森県平川市小国にあった山城。
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概要
歴史
鎌倉時代末期、小国弥三郎泰経が居城としていた。小国泰経は、南朝方の武将で持寄城で降将となった。小国部落の八幡宮縁起には、「正長7年」(1434年?[注釈 1])4月に、「小国丹波勧請」とあり、泰経と同一人物とも思われる。その後、小国氏は没落した。勧請時に鰐口1口が寄進されたが、1901年(明治34年)の火災で焼失した[3]。
天文年間(1532年-1555年)には北山氏が館主で、南部桜庭の合戦に敗れた天内某が落ち延び、城から眺めた春の山桜が朝日に映える景色に感動し「旭城」と名付けたという伝説が残る。
慶長2年(1597年 )2月には、浅瀬石城傘下にあり、津軽為信は、ある山の頂上に登り、数人の家来に、法螺貝を吹かせた。その音に恐れをなした城主は、戦うことなく逐電した。そして、その山は貝吹森の名がついたという[4]。
