小室縫之助
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経歴
京都府何鹿郡綾部町(現・綾部市)、芦田信治の次男[4][注 1]。小室静三の養子となる[2]。静三の長女べんと結婚する[4]。後に本籍を宮津町字魚屋に移す[4]。20歳の頃に京都日報に入り、編輯課に従事する[4]。宮津町へ移転と同時に丹州汽船会社に入り支配人となり、1892年2月に辞職[4]。
1887年3月、大阪控訴院で公証人登用試験に合格、また与謝郡郡会議員に当選、任期満了により退職する[4]。1892年4月に司法省より公証人を命じられ、1904年4月に願いにより職を免ぜられる[4]。
1904年、支那杭州で武林洋行を設立し、大阪店主任となる[4]。1914年5月に林田銀行取締役となり、1918年7月に辞職、同年同月多和楽鉱山創立委員となり取締役に当選する[4]。1920年3月に日本工業常務取締役となり、1931年2月に辞職する[4]。長崎市に転住する[4]。