小山修加
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来歴
中学時代は、遼寧省の体育運動学院で、走高跳の選手として活躍。
1996年、日本人の祖母の病気の為、兵庫県明石市に移住。明石市立高丘中学校卒業後、須磨ノ浦女子高等学校でバレーボールを始める。祖母は1998年に逝去し、その後は神戸市に転居。
2001年、久光製薬スプリングスに入団。しかし当時のVリーグでは外国人選手の出場が禁止されていたため、マネージャーとしてチームに携わっていた。
2002年、日本国籍を取得し選手登録される。苗字の「小山」は須磨ノ浦の小笠原仁監督と、久光製薬の山本辰正副部長から一字ずつもらった。名前の「修加」は神社の神主に付けてもらった。
2006年、全日本代表初選出。同年行われた世界バレーには日本のエースとして出場した。このとき、強烈なバックアタックを武器に得点を量産し6位入賞へ導いた。2007年も全日本に選出され、ワールドグランプリに出場した。
2019年、GSS東京サンビームズの監督に就任し[1]、V・サマーリーグで指揮を執ったが、2019-20シーズン開幕前にVリーグ登録が抹消となった。
人物・プレースタイル
球歴
所属チーム
- 須磨ノ浦女子高等学校
- 久光製薬スプリングス(2001-2010年)