小山章三

From Wikipedia, the free encyclopedia

小山 章三(こやま しょうぞう、1930年昭和5年)3月10年 - 2017年平成29年)12月22日)は、日本音楽家音楽教育者。専門は合唱曲作曲、合唱指導法。国立音楽大学教授を務め、児童合唱「わたしはだれでしょう」「ともだちはいいな」や、ふるさと長野を歌った「信濃の秋」「千曲川の水上を恋ふる歌」、賛美歌「行けども行けども」「やさしい目が」など長く愛唱されている曲を多く作った。

1930年長野県丸子町(現・上田市)生まれ[1]。丸子小学校卒業。小さい頃から歌を作るのが好きで、近所の子どもたちを集めては自作の歌で合唱をしていた[2]。丸子実業高校農業土木科(現・丸子修学館高等学校)でも音楽部を作ったりしたが、土地測量の勉強ははだに合わず、技術者の道には進まなかった[3]1949年、「草深い信州から音楽教師になりたくて、下駄ばきで上京」[4]し、国立音楽大学に進学、「かえるのうた」の訳詞や「どじょっこふなっこ」の作曲で知られる岡本敏明に師事する。岡本のもとで音楽教育家は「弾けて、歌えて、作れて、振れなければダメだ」[5]と学ぶ。

1954年、同大学の音楽指導学科を卒業すると、岡本が創立に関わり、「歌に始まり、歌に終わる」といわれた玉川学園の高等部の教員となって、「玉川の音楽教育の基礎」[6]を作る働きをした。1959年、母校の国立音楽大学に講師として戻り、以後、学内外で精力的に合唱指導を行う。ロイブナーシュヒターNHK交響楽団の指揮者による合唱指導の助手をするとともに[7]、師の岡本とともに「合唱行脚」と称して国音の学生を引き連れ、全国の小中高校をまわって合唱の楽しさを伝えた[8]。「いつも感動する。町の子、山の子と一緒に歌い、喜び合う」[9]といって、音大生が子どもたちを訪ねる意義を説いた。こうした実践的な音楽教育からは多数の音楽家、教員が輩出した[10]1968年に教授就任、1995年に定年退職し、名誉教授になる。

大学教育以外では、全日本音楽教育研究会の副会長、NHK全国学校音楽コンクール(Nコン)の審査員を長年務めたほか[11]上田グローリア合唱団[12]白門グリークラブ[13]など歴史のあるアマチュア合唱団でも指揮棒をふるい、社会人からも「章ちゃん」と呼ばれて慕われた[14]。ふるさと上田市にある無言館では、窪島誠一郎が作詞し、小山が作曲した「あなたを知らない」が、戦没画学生を追悼する無言忌で20年間にわたって歌われた[15]信州国際音楽村では戦没音楽学生を慰霊するコンサートを主宰し[16]、「『無言館』の音楽版を目指す活動」にも取り組んだ[17]

20代のころから賛美歌を作曲し、1954年の『讃美歌』に採用された「行けども行けども」は人気の曲で、半世紀たった『讃美歌21』(1997年)でも収録され、歌い継がれている[18]。また「み言葉をください」はアメリカメソジスト教会(UMH1989)やアジアキリスト教協議会の賛美歌集(CCA1990)にも採用されていて、「『日本生まれの賛美歌』の代表作」と評価されている[19]

長野県や山梨県関東各都県の小中高校、大学の校歌も数多く制作した。

作品・著作

合唱・輪唱曲

  • 信濃の秋
  • 千曲川の水上を恋ふる歌(「恋」は正しくは旧漢字)
  • しなの川
  • 涅槃の時
  • 走れ青い風(青梅マラソン讃歌)
  • 若人の歌
  • 蚊のカノン
  • わたしはだれでしょう
  • ともだちはいいな

賛美歌[20]

  • み言葉をください(58)
  • 行けども行けども(437)
  • やさしい目が(470)
  • かみさまに感謝(490)
  • イェスさまが教会を(544)

校歌

  • 東京都武蔵野市立桜野小学校
  • 東京都三鷹市立井口小学校
  • 東京都西東京市柳沢小学校
  • 東京都西東京市谷戸第二小学校
  • 東京都調布市立多摩川小学校
  • 長野県上田市立第五中学校校歌
  • 長野県佐久市本牧小学校
  • 新潟県立阿賀野高等学校
  • 新潟県立国際情報高等学校
  • 東京都立片倉高等学校
  • 東京都立新宿山吹高等学校校歌
  • 神奈川県立住吉高等学校
  • 埼玉県立騎西高等学校
  • 埼玉県立所沢高等学校
  • 長野大学校歌
  • 長野県川上村立川上第一小学校(作詞 薮田義雄)

ほか多数

著書・編著

脚注

参考文献

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI