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小島正治郎

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死没 (1974-02-23) 1974年2月23日(70歳没)
死因 脊椎腫瘍
こじま しょうじろう
小島 正治郎
生誕 (1902-01-02) 1902年1月2日
日本の旗 日本・栃木県安蘇郡佐野町
死没 (1974-02-23) 1974年2月23日(70歳没)
死因 脊椎腫瘍
出身校 早稲田大学商学部
職業 実業家
配偶者 小島淑子
子供 小島正(長男)
小島康男(次男)
親 小島卯八
栄誉 藍綬褒章(1965年)
勲二等瑞宝章(1972年)
正四位・勲二等旭日重光章(1974年)[1][2]
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小島 正治郎(こじま しょうじろう、1902年(明治35年)1月2日 - 1974年(昭和49年)2月23日)は、日本の実業家。西武鉄道社長などを務めた。位階は正四位。

小島卯八の次男として栃木県安蘇郡佐野町(現・佐野市)に生まれる[3][4]。

佐野中学を経て[4]、1925年早稲田大学商学部を卒業[5]。

駿豆鉄道(のち伊豆箱根鉄道)取締役、東京ゴム(のち西武ゴム化学)、西武鉄道各常務を経て専務となり、1954年、西武ゴム化学、西武鉄道の社長に就任[3][6]。堤康次郎の片腕として西武鉄道の経営にあたり、康次郎の長女・淑子と結婚している[3]。

康次郎の亡き後の西武グループは運営にあたって集団指導制を採用したが、この体制には中核4社(西武鉄道、国土計画、西武百貨店、西武化学工業)の代表が参加した[3]。その中で小島は座長的な存在であり、西武系企業集団の後見人という立場にあった[3]。

1974年2月23日、脊椎腫瘍のために死去[6]。72歳没。死没日付をもって正四位に叙された[7]。葬儀(堤義明委員長)は3月5日、東京・築地の本願寺において営まれ、田中角栄首相ら、政、財、官、その他各方面から約2千人が参列した[4]。

親族

脚注

参考文献

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