小川太郎 (教育学者)

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生誕 (1907-11-16) 1907年11月16日
日本の旗 日本台湾
死没 1974年1月31日(1974-01-31)(66歳没)
日本の旗 日本 兵庫県
研究分野 教育学
小川 太郎おがわ たろう
人物情報
生誕 (1907-11-16) 1907年11月16日
日本の旗 日本台湾
死没 1974年1月31日(1974-01-31)(66歳没)
日本の旗 日本 兵庫県
出身校 東京帝国大学
学問
研究分野 教育学
研究機関 神戸大学日本福祉大学
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小川 太郎(おがわ たろう、1907年(明治40年)11月16日 - 1974年(昭和49年)1月31日)は、日本の教育学者

1907年、台湾生まれ。言語学者である父の小川尚義は、台湾総督府に勤務し、台湾語ならびに台湾原住民諸語について研究していた。東京帝国大学を卒業。卒業後は台北第一師範学校愛媛師範学校に勤務した。

戦後、愛媛県教育研究所長。神戸大学教授となった。1971年に定年退官し、その後は日本福祉大学教授として教鞭をとった。大学外では、全国部落問題研究協議会長をつとめ、作文教育、同和教育に尽力した。1974年1月31日、肝臓がんのため神戸大学医学部附属病院で死去。66歳[1]

家族・親族

著書

脚注

参考サイト

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