小川菊松
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茨城県東茨城郡川根村(現:茨城町)出身。1903年、15歳で上京、書店店員から出版取次の至誠堂に入社。1912年、独立して神田錦町に取り次ぎ仲買の誠文堂を創立。1913年、渋川玄耳の『わがまま』を刊行し出版を始める。1920年に『商店界』、1924年に『子供の科学』『無線と実験』などを創刊。1935年、新光社を合併、誠文堂新光社とする。1945年、終戦直後に『日米会話手帳』を科学教材社名義で発行しベストセラーとする。1947年12月22日、公職追放の指定を受ける[1]。1950年10月13日に公職追放を解除され[2][3]、誠文堂新光社に会長として復帰する[4]も、病により仕事ができなくなり1962年猟銃自殺した[5]。