小林師現 From Wikipedia, the free encyclopedia 小林 師現(こばやし しげん、嘉永4年(1851年)– 没年不詳)は、幕末から明治時代にかけての日本の軍人。旧徳山藩藩士。別名に水木英之進(水木師現)。大日本帝国陸軍において歩兵将校として勤務し、最終階級は陸軍歩兵大佐。位階は正六位、勲等は勲三等[1]。 小林師現は徳山藩士として生まれ、幕末期には水木英之進を名乗った。戊辰戦争に際して徳山藩では、献功隊・整武隊・山崎隊など複数の諸隊が編成され、当初、献功隊は秋田方面への応援出兵を命じられたが、同地が早期に鎮定したため、函館戦争への転進が決定された。これにより明治元年(1868年)9月28日、献功隊・山崎隊の一行は徳山を出立し、10月1日に三田尻港から整武隊とともに英国艦「サントウ号」に山崎隊第4小隊半隊司令として小葉竹百枝らと乗組んだ[2]。 維新後は大日本帝国陸軍に出仕し、明治10年(1877年)の西南戦争では第二旅団参謀として陸軍大尉の階級で従軍した。同年3月6日には別働狙撃中隊長に任じられている[3]。この頃までに姓を小林に改めたとされ、明治12年(1879年)前後には改姓名が定着した。 明治11年(1878年)には勲四等に叙せられ旭日小綬章を受章し[4]、翌明治12年(1879年)には浅野頼淹とともに陸軍少佐に進んだ[5]。明治17年(1884年)6月2日には歩兵第2連隊第二大隊長に任命されている[5]。 明治21年(1888年)頃には陸軍中佐に昇進し、その後歩兵第18連隊連隊長を務めた[6]。さらに明治23年(1890年)10月27日には勲三等に叙せられ瑞宝章を受章した[7]。明治24年(1891年)に予備役へ編入された。 明治28年(1895年)頃には陸軍大佐に進み、第二師団後備歩兵第3連隊長を務めた[6]。 脚注 ↑ 東京美術 1988, pp. 161, 465. ↑ 維新戦没者五十年祭事務所 1917, p. 462. ↑ 陸軍文庫 1887, p. 11. ↑ 東京美術 1988, p. 261. 1 2 東京美術 1988, p. 161. 1 2 東京印刷 1904, p. 204. ↑ 東京美術 1988, p. 465. 参考文献 『維新戦役実歴談』維新戦没者五十年祭事務所、1917年。 『征西戦記稿 附録』陸軍文庫、1887年。 『明治過去帳 物故人名辞典 新訂』東京美術、1988年。 『明治二十七八年日清戦史 第7巻』東京印刷、1904年。 Related Articles