小林澈郎
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1929年、現在の長野県千曲市にて生まれた[1]。旧制松本高等学校出身[2]。1952年に東京文理科大学物理学科を卒業した後、同研究科に進学し、朝永振一郎の研究室に在籍した[3][4]。その後、1957年から1960年までペンシルベニア大学物理学科の助手を務め、1961年から早稲田大学理工学研究所の講師、助教授、教授を務めた[1][4]。1970年に東京都立大学理学部に異動し、1993年に同大学を定年退職した[1][4]。その後、福井工業大学で教鞭を執った[3]。1993年9月からの1年間、第49期日本物理学会会長を務め、『大学の物理教育』誌の創刊に携わった[4][5]。2017年3月26日に亡くなった[3][4][5]。
人物
- 無教会派のクリスチャンであった[5]。物理学者・聖職者であるジョン・ポーキングホーンの著書『世界・科学・信仰』を邦訳した。また、晩年においても聖書の研究を行っていた[3]。