小柳篤二
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新潟県新潟区学校町通(現 新潟市中央区学校町通)出身[3]。1903年(明治36年)3月に新潟中学校を卒業[3]、9月に第一高等学校大学予科理科に入学するも、病気で中退[3][4][注 2]。
新潟中学校の5年先輩の櫻井天壇の所によく遊びに行き、ゲーテやシラーの話を聞いたり、ドイツ語の詩を教えられたりしたことがきっかけで、ドイツ語の道に入ろうと思うようになる[3][6]。
1909年(明治42年)3月に東京外国語学校独語学科を卒業[3][7]、1912年(明治45年)に東京帝国大学文科大学文学科選科を修了[3]。
1912年(大正元年)8月に東京府立第一中学校教諭に就任、1925年(大正14年)4月に東京高等学校教授に就任、1948年(昭和23年)4月に早稲田大学政治経済学部教授に就任[8]、1954年(昭和29年)3月に退職、日出学園園長に就任[9][10]、1965年(昭和40年)に日出学園名誉園長に就任[11][注 3]。
1985年(昭和60年)12月23日午前0時5分に東京都多摩市和田の特別養護老人ホーム・和光園で老衰のため死去、102歳没。告別式は東京都港区六本木の鳥居坂教会で執り行われた[15]。
人物
栄典・表彰
主な教え子
著作物
著書
- 『文法本位 獨文和譯法』大学書林、1935年。
- 『理科獨逸文法讀本』大学書林、1939年。
- 『獨逸語の友』大学書林、1949年。
- 『獨逸語の門』大学書林、1949年。
- 『基準ドイツ文法讀本』郁文堂、1950年。
- 『英語對照 獨逸語入門』第三書房、1950年。
- 『訳読のための独乙文法 独文和訳の実際』大学書林、1951年。
- 『独文和訳の根底』大学書林、1951年。
- 『独文和訳問題集』大学書林〈大学書林語学文庫 507〉、1958年。
- 『新しい 独文解釈法』大学書林、1960年。
- 『随筆 越後』小柳篤二(私家版)、1975年。
- 『随筆 越後(続)』小柳篤二(私家版)、1976年。
- 『長い道 白寿 傘寿 金婚』小柳芳枝[共著]、(私家版)、1981年。
編書
- 『獨逸時文讀本』日獨書院、1924年。
- 『紀行文集』日獨書院、1926年。
- 『獨逸風土記』日獨書院、1926年。
- 『獨逸風俗誌』日獨書院、1926年。
- 『獨逸今昔物語』日獨書院、1926年。
- 『世界小景』日獨書院、1927年。
- 『獨逸趣味讀本』日獨書院、1927年。
- 『獨逸文法讀本』日獨書院、1927年。
- 『自然科學讀本』日獨書院、1928年。
- 『實用獨逸讀本』日獨書院、1929年。
- 『趣味の獨語入門』日獨書院、1929年。
- 『獨逸の技術』大学書林、1938年。
- 『教養ドイツ読本』大学書林、1952年。
- 『対英ドイツ文典』大学書林、1952年。
訳註書
- 『獨逸日常生活』リチャード・クローン[著]、日獨書院〈獨逸文化叢書 第1編〉、1923年。