小栗信一 (海軍軍人)
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小栗 信一(おぐり しんいち、明治14年〈1881年〉10月26日 - 昭和32年〈1957年〉12月29日)は、大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍少将。享年77。
経歴
大正12年(1923年)11月1日に巡洋艦「天龍」の艦長に就任し、同年12月1日に海軍大佐へ昇進した[1]。大正13年(1924年)12月1日には馬公要港部参謀長に就任している[1]。大正14年(1925年)4月1日、航空母艦「鳳翔」の艦長に就任[1]。その後、大正15年(1926年)8月20日に艦政本部第一部第二課長、昭和3年(1928年)12月10日に呉海軍工廠水雷部長を務め、同日海軍少将に昇進した[1]。昭和4年(1929年)11月15日に魚雷実験部長を兼務するが、昭和5年(1930年)1月10日に免兼となり、昭和6年(1931年)12月1日に出仕、昭和7年(1932年)5月25日に待命、同年7月5日に予備役へ編入された[1]。
軍歴
- 大正12年(1923年)11月1日:巡洋艦「天龍」艦長
- 大正12年(1923年)12月1日:海軍大佐
- 大正13年(1924年)12月1日:馬公要港部参謀長
- 大正14年(1925年)4月1日:航空母艦「鳳翔」艦長
- 大正15年(1926年)8月20日:艦政本部第一部第二課長
- 昭和3年(1928年)12月10日:海軍少将、呉海軍工廠水雷部長
- 昭和4年(1929年)11月15日:兼魚雷実験部長
- 昭和5年(1930年)1月10日:免兼
- 昭和6年(1931年)12月1日:出仕
- 昭和7年(1932年)5月25日:待命
- 昭和7年(1932年)7月5日:予備役
親族
- 曾祖父:小栗左近七(旧幕府書院番)
- 祖父:小栗信成(左近七長男、明治期に鹿児島県士族として鹿児島市加治屋町へ転籍)
- 父:小栗信重(信成の養子、長男)
- 遠縁:小栗忠順(上野介。本藩・小栗家当主)
家系
小栗家の遺族所蔵文書『清和源氏小栗系図』によれば、その出自は清和源氏であり、本名は松平氏とされる。三河国松平一族の流れを汲み、のちに小栗に改姓した譜代旗本の家柄である。江戸初期の旗本・小栗信正を共通の祖として、幕末の勘定奉行・小栗忠順(上野介)を輩出した本家(2500石)と、御書院番を世襲した分家(信一の系統)に枝分かれした。
家系のルーツと本家との接続
信一の生家である分家「小栗又蔵家」から本家(又一家)へ至る系譜は、以下のように辿ることができる。
- 本家(第4代)
- 小栗忠政(初代 又一):小栗本家の第4代当主。
- 分家の創設(初代)
- 小栗信友:忠政の三男。本家より分立し、知行500石で御書院番などを世襲する旗本分家「小栗又蔵家」を創設。
- 江戸後期の継承(六代)
- 六代目 小栗又蔵(信陽):旗本・亀井清永の三男から小栗家の養子となり、1793年に御書院番(内藤甲斐守組)に就任、1794年に家督を相続した。
- 幕末から信一への接続
- 小栗左近七:旧幕府書院番。信一の曾祖父にあたる。本家第12代当主・小栗上野介忠順(1827年 - 1868年)と同世代にあたる。
- 小栗信成(祖父) → 小栗信重(父) → 小栗信一
このように、信一の生家(小栗又蔵家)は本家第4代当主・忠政の三男である信友を始祖とし、六代目・又蔵(信陽)や曾祖父・左近七らを経て、信一へと至る血脈である。幕末期の曾祖父・左近七は本家の小栗上野介と同世代であり、双方の家系は忠政から数えて約200年・8代離れた遠縁にあたる。