小池藤五郎
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実家は富裕な名主の家系で、甲斐国のみならず江戸の文人との交流のある環境であった[1]。曽祖父に当たる小池伝右衛門富章(号は勝山、文雅園)は国学・漢学に通じ、狂歌師として「白水亭亀丸」の号を持っていた[1]。小池家には『南総里見八犬伝』が肇輯から初版本がそろっており[2]、近郷唯一の『八犬伝』として親戚・知人や家来筋の人々にも愛読されたというが、1898年(明治31年)の洪水で書庫とともに流され失われたという[3]。
1928年東京帝国大学国文科卒業、東京高等学校教授、東洋大学教授、1953年「徳川時代大衆文学の主軸である赤本、黒本、青本の研究」で東洋大文学博士。1960年都留文科大学教授、1964年立正大学教授、1974年定年。東京音楽大学教授。狂歌師として、大倉喜八郎の「和歌廼舎鶴彦」を襲名した。[4]