旧南部町長時代に過疎化や高齢化が著しかった町の地域復興策を次々と進行させ、また1995年(平成7年)に急行「富士川」が特急化される際内船駅が通過対象であると聞くとJR東海に対して陳情を行ない、特急停車駅化を果たしている(鉄道と政治#停車駅争奪戦・追加運動・臨時停車などを参照)。平成の大合併では協議会会長として隣の富沢町との合併を進展させ、山梨県内の市町村では一番早く合併を果たした。
新南部町長に就任後は東海地震対策として2001年に改築した南部町立南部中学校の空き教室を利用して防災倉庫にすることを提案した。中学校改築の際に国から補助金を受けており、文部科学省は「補助金適正化法違反である」として補助金返還を視野に入れるなど難色を示したが、鰍沢町(現・富士川町)など山梨県内の自治体では「反則だが人命に関わることである」と同調する動きもあった[2]。
- 1985年(昭和60年)より無医町となったことから1989年(平成元年)4月に「南部医療センター」を開設し、同時に医師住宅および医師を町職員として雇用することで無医町から脱却することに成功した。病床も19床あり、入院にも対応している。
- デイサービスセンターおよびアルファーセンター等福祉施設の建設推進。
- 男女共同参画社会の一環として峡南女性センターの誘致。