父は小沢十平、妻は長田重元の娘である。徳川家康の近臣として軍事・政務の両面に関わった譜代家臣の一人である。若年期には小姓組として家康に近侍し、天正10年(1582年)6月、本能寺の変後に家康が堺から三河へ帰還した際の伊賀越えにおいて、小姓組として随行した人物の一人長田瀬兵衛と同一人物であると考えられている。関ヶ原の戦いおよび大坂の陣では使番として従軍し、戦時実務に携わった[2]。
江戸幕府成立後は幕府の普請行政に関与し、元和3年(1617年)には江戸城普請奉行に任じられたが、職務上の落度により一時解職された。その後赦免され、家名の存続は許されている。寛永8年(1631年)3月24日死去。享年67。
[4]。