小渕岩太郎
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群馬県立渋川中学(現在の群馬県立渋川高等学校)から東京外国語学校西語(スペイン語)部貿易科に進学する。1942年9月の卒業後応召し、豊橋予備士官学校を経て1944年1月、陸軍中野学校に6期丙学生として入校する[1][2]。9月の卒業後ただちに台湾に出征する。第10方面軍隷下山中部隊(のち第1高砂遊撃隊と改称)編成に携わり[3]、本部附を経て司令部情報班に転じ、出先の高雄で民間人を装って後方遊撃戦展開の準備を進める中で終戦を迎えた[4]。終戦時中尉[3][2]。
1946年に台湾から復員後、実兄の小渕光平が創業した光山社グループに入社した。1949年、光平の衆院選出馬に伴い、運動員として活動したが、公職選挙法違反容疑で逮捕された。のち光山社役員となり、長く経営の実権を握り、実業界で活躍した。1976年、日本工業大学後援会第6代会長に就任する。選挙参謀として甥の小渕恵三を支え、地盤が脆弱だったにもかかわらず12回連続当選に導いた。