小町とし子 From Wikipedia, the free encyclopedia 本名 吉田 登志子[1]片岡 登志子生年月日 (1921-02-03) 1921年2月3日没年月日 (1946-03-16) 1946年3月16日(25歳没)出生地 日本 東京府東京市神田区こまち としこ小町 とし子本名 吉田 登志子[1]片岡 登志子生年月日 (1921-02-03) 1921年2月3日没年月日 (1946-03-16) 1946年3月16日(25歳没)出生地 日本 東京府東京市神田区死没地 日本 東京都渋谷区千駄ヶ谷国籍 日本職業 女優ジャンル 映画活動期間 1937年 - 1940年配偶者 十二代 片岡仁左衛門(1940年 - 1946年)事務所 日活主な作品 『嫁ぎ行くまで』テンプレートを表示 小町 とし子(こまち としこ、1921年2月3日[2] - 1946年3月16日)は日本の女優。片岡仁左衛門一家殺害事件の被害者の一人。 1921年(大正10年)、東京市神田区に生まれる[1]。父と兄が長唄の名取であったため幼時より長唄の手解きを受ける[1]。さらに日本舞踊は藤間甚四郎に師事し、公演の舞台に立つことも度々であったという[1]。1937年(昭和12年)、日活多摩川撮影所に入社すると[1]、欧米旅行中であった原節子の代役として抜擢され、春原政久の『嫁ぎ行くまで』で主演を務める[3]。 その後は専ら助演に回り、倉田文人の『若しも給料が上がったら』や[4]伊賀山正徳の『今日の船出』[5]などに出演。1940年(昭和15年)公開の『街の唱歌隊』を最後に退社し、同年に歌舞伎俳優の十二代 片岡仁左衛門と結婚したが、1946年(昭和21年)3月16日に仁左衛門らと共に自宅で殺害された(片岡仁左衛門一家殺害事件)。 出演作 嫁ぎ行くまで(春原政久、1937年3月25日) - 道子 役(主演)[3] 日月と共に(水ヶ江龍一、1937年4月23日) - 娘 役[6] 若しも給料が上がったら(倉田文人、1937年8月25日) - ウェートレスA 役[4] 制服を着た芸妓(春原政久、1937年10月7日) - 晋二の妹 役[7] 茶房の花々(春原政久、1938年6月1日) - マリ子 役[8] 姉ごころ(田口哲、1938年6月20日) - 豆子 役[9] 雲雀(島耕二、1939年3月15日) - 女給・きみ子 役[10] 妻の友情(伊賀山正徳、1939年3月22日) - 饅頭屋の娘 役[11] 純情の眸(春原政久、1939年5月18日) - 蔦枝 役[12] 今日の船出(伊賀山正徳、1939年12月15日) - 啓子 役[5] 街の唱歌隊(島耕二、1940年1月6日) - 時子 役[13] 脚注 1 2 3 4 5 “小町 とし子”. コトバンク. 2019年10月26日閲覧。 ↑ 『国民年鑑 昭和14年』(国民新聞社、1940年)p.972 1 2 “嫁ぎ行くまで”. 日活. 2019年10月26日閲覧。 1 2 “若しも給料が上がったら”. 日活. 2019年10月26日閲覧。 1 2 “今日の船出”. 日活. 2019年10月26日閲覧。 ↑ “日月と共に”. 日活. 2019年10月26日閲覧。 ↑ “制服を着た芸妓”. 日活. 2019年10月26日閲覧。 ↑ “茶房の花々”. 日活. 2019年10月26日閲覧。 ↑ “姉ごころ”. 日活. 2019年10月26日閲覧。 ↑ “雲雀”. 日活. 2019年10月26日閲覧。 ↑ “妻の友情”. 日活. 2019年10月26日閲覧。 ↑ “純情の眸”. 日活. 2019年10月26日閲覧。 ↑ “街の唱歌隊”. 日活. 2019年10月26日閲覧。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。表示編集 Related Articles