小笠原慈聞 From Wikipedia, the free encyclopedia 小笠原 慈聞(おがさわら じもん、1875年 - 1955年)は、日蓮正宗の僧である。 狸祭り事件 第二次世界大戦中、日蓮正宗内で反執行部の立場をとり、神本仏迹説[注釈 1]を唱え軍部に迎合し日蓮宗との合同を図っていたとされる[1]。1942年9月14日、日蓮正宗から擯斥(僧籍剥奪)処分を受けた[2]。 1952年4月27日、「宗旨建立七百年慶讃大法要」が営まれていた日蓮正宗総本山の大石寺境内で、創価学会初代会長牧口常三郎の投獄を招いたとして創価学会の青年部員48人が当時77歳の小笠原を取り囲み、牧口の墓所の前で吊し上げて謝罪させ、詫び状を書かせた[3]。 当時の聖教新聞では、この「狸祭り」と呼ばれる事件について「遂に目的達成!!」などと題し、正座をして詫び状を書かされている小笠原の写真を載せて報じている[1]。また、小説『人間革命』第6巻では「笠原慈行」の名で、暴力的場面が削られ、平和的な話し合いによるものとして描かれている[4][3]。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 仏は神の仮の姿である、という宗教思想。神は仏の仮の姿である、との本地垂迹説に対する。 出典 1 2 「事件の全貌と真相 神本仏迹論の小笠原慈聞師を学会青年達が"狸祭り"」『聖教新聞』1952年5月10日、3面 ↑ 『大日蓮』4月号、大日蓮社、1952年4月30日 1 2 高橋篤史 (2018年3月12日). “誰も知らなかった「昭和初期」創価学会の本当の姿 「狸祭り事件」とは何か”. 現代ビジネス. 講談社. 2020年8月4日閲覧。 ↑ “『人間革命』全12巻 要旨 第6巻”. 創価学会公式サイト. 2020年8月4日閲覧。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。表示編集 典拠管理データベース 全般ISNIVIAF国立図書館日本学術データベースCiNii BooksCiNii Research Related Articles