小笠原猛
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父親は東映のプロデューサーの小笠原久豊。その関係からか映画監督を志し、日本大学藝術学部入学。しかし、1961年に中退し、NET(現・テレビ朝日)に契約社員として入社[1]。その後1962年に東映テレビ・プロダクションに移籍[1]。以後『ザ・ボディガード』、『特別機動捜査隊』、『特捜最前線』、『鉄道公安官』などの一般ドラマや『快傑ズバット』、『忍者キャプター』などのキャラクターものの東映テレビプロ制作の作品で助監督を務める[1]。特に村山三男、田中秀夫、奥中惇夫らに師事していた[1]。
1981年『それゆけ!レッドビッキーズ』46話で監督デビュー[1]。その後、1982年から始まる『宇宙刑事ギャバン』をはじめとするメタルヒーローシリーズで監督として頭角を現す[1]。1984年の『星雲仮面マシンマン』では初のパイロット&メイン監督を務め上げた[1]。以降、東映・吉川進プロデューサー制作番組にはほぼ全てに携わる番頭的存在となり、独特な演出で活躍[1]。1992年よりスーパー戦隊シリーズに移動。『恐竜戦隊ジュウレンジャー』以降の戦隊シリーズ4作品で計50本を担当。そして『超力戦隊オーレンジャー』を最後に東映テレビプロとの契約を解除され、同社を退社。これに関しては彼の後盾だった吉川進プロデューサーの定年退職の影響や、同テレビプロがスタッフの刷新や若返りを図ったためのリストラ政策の一環ともいわれている。『オーレンジャー』第46話「地球最期の日!!」が最後の演出作品となった。
映像の世界から引退し、晩年は役者養成スクールに講師として参加したり、『東映ヒーローMAX』のインタビューに答えていた[要文献特定詳細情報]。また鈴木美潮の主催するイベントには度々ゲストとして登場し、2011年7月に「小笠原祭」というイベントが開催された。これは小笠原の生誕70周年を記念したもので、当日は羽村英、宍戸勝などがゲストに駆けつけている。