朝鮮の咸興市で生まれた。1932年、早稲田大学経済学部を卒業した[1]。
1932年、日本のフィールドホッケーチームのメンバーとして、1932年ロサンゼルスオリンピックに出場し銀メダルを獲得した[1]。彼はフォワードとして2試合に出場した。
1933年、大日本スケート競技連盟(現日本スケート連盟)理事、大日本体育協会(現日本スポーツ協会)理事に就任[1]。1972年札幌オリンピックの日本スケート代表チームの選手強化本部長を務めた[1]。
その他、日本アイスホッケー連盟参与、日本スケート連盟参与、小西産業社長などを務めた[1]。