薬種商を営む六左衛門のもとに生まれる。7歳で前川由平の門に入り、18歳で俳諧の点者になる。禅を南岳悦山に学んで法体となる。延宝6年(1678年)、西鶴編『物種集』に初出し、翌年には西鶴らに一座して『飛梅千句』を興業する。延宝8年(1680年)、遠舟編『太夫桜』以後、悦山に因んで来山と改号。元禄3年以降、来山の活動は活発化し、元禄3年から元禄7年の間に、生前に発表された約260句のうち、約90句が発表されている。元禄10年代以降は雑俳点者としての活躍が甚だしく、大坂の雑俳書で来山に無関係のものはほとんどないとされる[1]。