小野坂清

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国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府
生年月日 (1942-07-13) 1942年7月13日
没年月日 (2012-04-17) 2012年4月17日(69歳没)
小野坂 清
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府
生年月日 (1942-07-13) 1942年7月13日
没年月日 (2012-04-17) 2012年4月17日(69歳没)
身長
体重
177 cm
71 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1964年
初出場 1964年3月15日
最終出場 1970年10月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

小野坂 清(おのさか きよし、1942年7月13日 - 2012年4月17日)は、大阪府出身のプロ野球選手投手)。

大鉄高等学校(現阪南大学高等学校)では、高校同期の伊藤幸男、1年下の中井悦雄とともに強力投手陣を形成し活躍する。1959年の秋季近畿大会で準決勝に進み、海南高木原義隆と投げ合うが敗退。しかし1960年春の選抜への出場権を得る。甲子園では1回戦で東邦高に敗れ、自身の登板機会はなかった[1]。1年下のチームメートに土井正博(2年で中退)がいた。

卒業後は社会人の不二越鋼材に入社、1963年都市対抗では左腕エースとして富士鉄広畑戦に完投、富山県勢として大会初勝利をあげる。

1964年近鉄バファローズへ入団。1971年まで在籍した。1968年には当時の三原監督の抜擢に応え、主に中継ぎとして37試合に登板。左のサイドスローからのカーブシュートで打者のポイントをはずす投球を武器に活躍した。その後は登板機会が段々と減り、1971年限りで引退。

1972年から打撃投手、スコアラーを務め、その後球団広報・広報課長・ファームディレクターを経て、2004年、広報部次長となる。

2012年4月17日肺腺癌のため、大阪府羽曳野市の病院で死去[2]69歳没

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1964 近鉄 11000000--------306.282301210556.431.65
1967 12000002----.0008617.125261160017179.001.79
1968 37400012----.33323459.05661601262025233.511.22
1969 16000021----.6677318.1121710200873.501.04
1970 13000000--------5214.0114200510774.500.93
通算:5年 89400035----.375475115.1112153423414062594.621.27

記録

背番号

  • 21 (1964年)
  • 20 (1965年 - 1971年)

脚注

関連項目

外部リンク

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