書に卓越し、寛平9年(897年)の醍醐天皇の大嘗会にて、悠紀主基屏風の色紙形の清書を行っている[2]。また、大内裏の西面三門(談天門・藻壁門・殷富門)の額字を書いたとされる[3]。なお、他の三面は三筆の手による物(南面・弘法大師、北面・橘逸勢、東面・嵯峨天皇)とされており、美材が三筆に比肩する腕前と見られていた様子が窺われる[4]。
また詩文にも秀で、漢詩作品が『本朝文粋』や『菅家後集』に採られるとともに、勅撰歌人として『古今和歌集』に2首、『後撰和歌集』に1首の和歌作品が採録されている[5]。