小野重行 From Wikipedia, the free encyclopedia 生年月日 (1881-03-26) 1881年3月26日出生地 日本・神奈川県 橘樹郡町田村(現・横浜市鶴見区)没年月日 (1881-03-26) 1881年3月26日(-51歳没)出身校 東京法学院(現・中央大学)[1][2]小野重行 生年月日 (1881-03-26) 1881年3月26日出生地 日本・神奈川県 橘樹郡町田村(現・横浜市鶴見区)没年月日 (1881-03-26) 1881年3月26日(-51歳没)出身校 東京法学院(現・中央大学)[1][2]所属政党 憲政会 → 立憲民政党選挙区 神奈川3区(1920年・1924年)→神奈川2区(1928年・1930年)当選回数 4テンプレートを表示 小野 重行(おの しげゆき、1881年(明治14年)3月26日[3] - 1931年(昭和6年)7月30日[4])は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)[1]。神奈川県橘樹郡町田村の村長を経て、大正9年の総選挙で初当選し、通算4期務めた[1]。 神奈川県橘樹郡町田村(のち潮田町・鶴見町、現・横浜市 鶴見区)に生まれる。東京法学院(現・中央大学)卒[1][2]。町田村の村長を務め、臨海部の埋立・宅地化や地域開発に尽力した[5][6]。大正期には多摩川改修など地域インフラをめぐる請願・運動にも関わった[7]。 1920年の第14回衆議院議員総選挙で初当選(神奈川3区)し、1924年(神奈川3区)、1928年・1930年(いずれも神奈川2区)に当選、通算4期務めた[8][9][10][11]。 「鶴見小野駅」周辺は、戦国期以来小野氏が住し、江戸末 - 明治初期にかけて小野高義・鱗之助親子が新田として埋立(小野新田)を行った地である[6]。小野重行はその孫にあたり、町名・駅名の由来ともなっている[6][12][13]。 大正期、地域整備とあわせて、小野弁天神社(現・小野町)の修復整備を行った。同社境内には埋立・宅地化の功労者として小野の肖像レリーフを配した記念碑(小野重行碑)が建立されている[6][14][15]。 関東大震災(1923年)当時、鶴見地区では警察署長大川常吉の行動と、地元有力者(小野・佐久間権蔵)による住民への調整・説得が緩衝役となり、朝鮮人および中国人の虐殺犠牲者は相対的に少数にとどまった[16]。 脚注 1 2 3 4 “小野重行”. コトバンク. 2025年11月10日閲覧。 1 2 “『人事興信録』第8版(昭和3年)小野重行”. 名古屋大学 法情報データベース JAHIS. 人事興信所 (1928年). 2025年11月10日閲覧。 ↑ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、5頁。 ↑ 『官報』第1381号、昭和6年8月6日。 ↑ 大石末吉『普選の勝者 代議士月旦』東京平和新報社出版部、1928年。 1 2 3 4 “臨海の女神をさがして・・・はま旅Vol.108「弁天橋・鶴見小野」編”. はまれぽ.com (2013年4月26日). 2025年11月10日閲覧。 ↑ 和田一範 (2019年). “多摩川近代改修の夜明け前”. 農研機構アグリナレッジ. 2025年11月10日閲覧。 ↑ “神奈川3区 - 第14回衆議院議員選挙(1920年)”. 選挙ドットコム. 2025年11月10日閲覧。 ↑ “神奈川3区 - 第15回衆議院議員選挙(1924年)”. 選挙ドットコム. 2025年11月10日閲覧。 ↑ “神奈川2区 - 第16回衆議院議員選挙(1928年)”. 選挙ドットコム. 2025年11月10日閲覧。 ↑ “神奈川2区 - 第17回衆議院議員選挙(1930年)”. 選挙ドットコム. 2025年11月10日閲覧。 ↑ “鉄道事業の発展と国有化”. 鶴見臨港鉄道. 2025年11月10日閲覧。 ↑ “かわさき区の宝物シート”. 川崎市. 2025年11月10日閲覧。 ↑ “「鶴見ところどころ 私の鶴見・近現代史」写真情報”. 横浜市立図書館 (2024年7月29日). 2025年11月10日閲覧。 ↑ “鶴見みどころ90(PDF)” (PDF). 横浜市鶴見区. 2025年11月10日閲覧。 ↑ 鈴木, 晶、小川, 輝光、藤田, 賀久『神奈川の関東大震災 : 100年後の視点』えにし書房、2023年、11頁。ISBN 978-4-86722-121-1。 参考文献 大石末吉『普選の勝者 代議士月旦』東京平和新報社出版部、1928年。 Related Articles