小金井桜
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 小金井桜 | |
|---|---|
| 別名 | 小金井(サクラ)、御上水桜 |
| 所在地 | 東京都小金井市、小平市、西東京市、武蔵野市 |
| 座標 | 北緯35度42分39.5秒 東経139度30分30.5秒 / 北緯35.710972度 東経139.508472度座標: 北緯35度42分39.5秒 東経139度30分30.5秒 / 北緯35.710972度 東経139.508472度 |
| 樹種 | ヤマザクラ (Cerasus jamasakura (Siebold ex Koidz.) H.Ohba) |
| 樹齢 | 植樹開始から約290年(現存するのは後継樹を含む) |
ウィキデータ項目に座標がありません | |
小金井桜(こがねいざくら)は、東京都の玉川上水両岸(小平市喜平橋から武蔵野市境橋付近までの約6km)に生育するヤマザクラの樹木群および桜並木である。
江戸時代中期の1737年(元文2年)に植樹されて以来、江戸近郊随一の桜の名所として知られる。1924年(大正13年)には、日本屈指の景勝地であることやヤマザクラの天然変種の多さが評価され、吉野山(奈良県)、桜川(茨城県)と共に、サクラとして日本初の国の名勝に指定された。
江戸時代(植樹と隆盛)
1737年(元文2年)、江戸幕府8代将軍徳川吉宗の命を受けた武蔵野新田世話役・川崎平右衛門(定孝)によって植樹されたのが始まりである。川崎は、新田開発による地域振興と上水堤の保護を目的として、大和国(現・奈良県)の吉野山や常陸国(現・茨城県)の桜川からヤマザクラの苗木を数千本取り寄せ、玉川上水の小金井橋を中心とする両岸に植え付けた。
植樹の具体的な目的としては、以下の4点が挙げられている:
- 護岸: 桜の根が堤防を締め、決壊を防ぐ。
- 水質の浄化: 桜の花びらが水毒を消すとされた伝承に基づき、飲料水を清浄に保つ。
- 木陰の提供: 夏場に街道を通行する人々に日陰を提供する。
- 民心の安定: 新田農民や江戸市民に憩いの場を提供し、地域を活性化させる。
文化・文政期(19世紀初頭)には、江戸から日帰り可能な観光地として定着。1810年(文化7年)には、川崎の業績を称える「小金井櫻樹碑」が海岸寺門前に建立された。歌川広重は『富士三十六景』や『江戸名所図会』の中で、滔々と流れる上水と、それに覆いかぶさるような赤芽のヤマザクラを鮮やかに描いている。また、11代将軍・徳川家斉や12代将軍・徳川家慶が鷹狩りの際に訪れるなど、幕府公認の名所として最盛期を迎えた。
明治・大正時代(観光開発と名勝指定)
明治時代、1889年(明治22年)に甲武鉄道(現在の中央本線)が開通すると、花見客の数はさらに増大した。
- 鉄道駅の設置: 観桜期の混雑に対応するため、1924年(大正13年)4月、現在の武蔵小金井駅の前身となる「武蔵小金井仮乗降場」が期間限定の駅として設置された。
- 名勝指定: 同年12月9日、史蹟名勝天然記念物保存法に基づき、国の名勝に指定された。全国の桜名所において初の指定(第1号)の一つであり、学術的・景観的価値が国家的に認められた。
- 他地域への波及: 大正期には、岩手県北上市の北上展勝地へ苗木が送られたほか、各地の桜並木整備のモデルとなった。
昭和・平成(衰退の危機)
昭和30年代(1955年頃)以降、都市化の進展に伴い急速に衰退した。小金井街道の交通量増大による排気ガス被害、道路舗装による土壌の乾燥に加え、玉川上水の通水停止がサクラの生育に深刻な影響を与えた。また、自生したケヤキ等の高木がサクラの頭上を覆い、日照不足によって多くの老木が枯死した。指定当時数千本を数えたサクラは、一時期数百本程度まで減少した。
現代(復活プロジェクト)
2010年代より、文化財としての景観再生を目指した「名勝小金井(サクラ)復活プロジェクト」が、官民学の協働で本格化した。
- 保全と継承: 歴史的なヤマザクラの遺伝子を受け継ぐ苗木(後継樹)の育成、サクラの生育を妨げる雑木の伐採、日照を確保するための環境整備が計画的に行われている。
- 100周年事業: 2024年(令和6年)に名勝指定100周年を迎え、記念式典や「小金井桜樹碑」の拓本の公開、北上市との交流など、文化遺産を次の100年へつなぐ活動が展開されている。