「友情 (少女世界)」 須藤しげる (1930年〈昭和5年〉)
最盛期には15万部から20万部近い発行部数で、創刊の1906年から10年間は最も売れた少女雑誌だったが、その後、『少女倶楽部』がこれを超え、最高部数は1937年(昭和12年)1月号の49万1,675部に達してしまう。他誌がピークを迎える前、1931年(昭和6年)12月号で最終号を迎えた。『少女世界』への投稿者の団体は「たかね会」で、森田たまが所属していた。
- 川端康成 - 『薔薇の幽霊』(昭和2年10月号、1927年)
- 尾崎翠 - 『空気草履』『露の珠』(1924年)、『頸飾をたずねて』(1925年)
- 与謝野晶子 - 『金魚のお使』(1907年)、『巴里の子供』(1913年)
- 巖谷小波[3]
- 北川千代 - 『絹糸の草履』(1928年)
- 尾島菊子 - 『母の家』(1913年)、『鶯の疵』(1914年)