少女画報
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『少女画報』 (しょうじょがほう)は、戦前日本の少女雑誌の一つ。1912年(明治45年)1月創刊、1942年(昭和17年)2月廃刊[1]。
婦人雑誌『婦人画報』の妹雑誌として、鷹見久太郎が東京社から1912年(明治45年)に創刊[2]。1919年(大正8年)に新泉社に発行所が変わる。発行当時は教育学者の倉橋惣三らが編集顧問に名を連ね、教育的な傾向が強いのが特色だった。大正中期に、編集長の和田古江がまだ無名だった吉屋信子を見出し、『花物語』を掲載した(1916年より掲載)。大正末以降は映画、宝塚、女子スポーツなどの芸能関係の記事を多数掲載し、娯楽性を強めた。1942年(昭和17年)に、戦時雑誌統合令により『少女の友』に統合された。
- 伊澤みゆき - 『闇に居て』『春も逝く』など1912年から1916年にかけて五十編以上掲載。吉屋信子は、『花物語』投稿の理由を伊澤作品に魅了されたからと述べている[3][4]。
- 吉屋信子 - 『花物語』
- 加藤武雄 - 『君よ知るや南の国』(大正14年、挿絵・月岡夕美)
- 横山美智子 - 『桜咲く国の乙女』(昭和3年)
- 野上弥生子 - 『菊子の話』(大正元年11月号)、『雛子』(大正5年1月号 - 4月号)
- 尾島菊子 - 『やどり木』(大正元年)、『姫がき』(大正2年1月号 - 11月号)、『綾子』(大正3年1月号 - 7月号)、『うきくさ』(大正5年8月号 - 12月号)
- 北川千代 - 『幸福』(大正14年)
- 竹久夢二
- 蕗谷虹児 - 蕗谷紅児の名で、1920年に本誌でデビュー、半年後には新年号の表紙絵や付録の双六まで任される。1921年2月号の表紙絵「雪」から名を虹児に変える。1925年からのパリ留学中、『巴里画信(パリーぐわしん)』が本誌に掲載される。
- 高畠華宵
- 加藤まさを
- ↑ 『少女小説事典』東京堂出版、2015年、315頁。
- ↑ 『少女小説事典』東京堂出版、2015年、315頁。
- ↑ 『少女小説事典』東京堂出版、2015年、9頁。
- ↑ 『いっそあの方が死んで下すったなら』国書刊行会、2025年、491頁。