1406年、嫡男の尚巴志は中山王武寧を滅ぼし(中山侵攻)、明の永楽帝に使いを遣わして、思紹を奉じて中山王とした。在位16年の間に明に30回の進貢をしている。また思紹の時代、永楽年間は動乱の時代でもあり、南山に勢力を伸ばし、1416年には北山侵攻で北山を滅ぼし、琉球統一の動きをみた。
思紹夫妻らの墓所の佐敷ようどれは、航空自衛隊知念分屯基地内にある。
近年、漢文学者の石井望は、『皇明實録』所載の蘇惹爬燕之、師惹、思紹、尚巴志はともに山南領域の「すざ(べじ)」(兄、王)の福建漢字音であるとする新説を立てている[1][2][3][4][5]。