尚武
From Wikipedia, the free encyclopedia
尚武(しょうぶ)とは、武事(軍事)や武備、武勇・武芸などの「武」を尊重し重視する態度・思想を指す語である。国家・政治の方針として語られる場合は文治主義との対比で用いられる。日本語では、軍事・武家文化に関わる文脈に加え、学校や組織の気風を表す語として用いられることもある。
歴史
古代・中世
「武を尊ぶ」という考え方は中国の古典(『漢書』など)にも見られるが、日本においては鎌倉時代の武家政権の成立以降、武士のアイデンティティとして定着した。
室町時代から戦国時代にかけては、実戦における武功が重視されたが、同時に禅宗などの影響を受け、精神修養としての側面も強まっていった。
江戸時代
太平の世となった江戸時代には、単なる殺伐とした武力ではなく、儒教的な倫理観と結びついた「士道」としての尚武が説かれた。武芸を磨くことは「文武両道」の一環として、統治者層に必須の教養とされた。
明治以降
学校教育での具体化(体育・武術)
日清戦争後、教育界では戦後教育の課題として「忠君愛国の精神の奮興」などと並び、「尚武的気風の養成」が重視された。1895年(明治28年)10月、大日本教育会が各府県教育会に対して戦後教育に関する留意点を照会した調査では、「尚武的気風の養成」が教育上の留意事項の上位を占めたと報告されている。尚武を理念として掲げるだけでなく、学校教育の方法として具体化する議論が行われ、東京府教育会に関する調査事項として、「勤倹尚武の気風」に関連して次のような実施方法が挙げられている。
このように、尚武は学校体育の実施形態(体操・行軍・武術等)と結びついて論じられた[1]。
文化と尚武
端午の節句
5月5日の端午の節句は、別名「尚武の節句」とも呼ばれる。
- 菖蒲との掛詞: 薬草である「菖蒲(しょうぶ)」が、言葉の響きが同じ「尚武」に通じることから、江戸時代以降に男児の成長と出世を祝う行事として定着した[2][3]。
- 菖蒲兜: 菖蒲の葉を剣に見立てたり、兜を飾ったりする習わしは、尚武の精神を象徴している[4][5][6]。
尚武双六
明治期に「尚武の気風」の推奨を受け、子供向けの「尚武双六」が広く普及した。これは日露戦争後の社会において、遊びを通じて子供たちに身体の鍛錬や愛国心を養わせる教育的玩具としての側面を持っていた。双六の絵柄には軍隊の訓練や戦功が描かれ、上がりを「凱旋」や「立派な軍人」とすることで、次世代の国民に尚武の精神を植え付ける役割を果たした[7]。
地名・団体名
尚武の精神を冠した建物、地名は多い。