尾崎積興

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時代 江戸時代後期
改名 継忠→積興
 
尾崎積興
時代 江戸時代後期
生誕 延享4年11月23日1747年12月24日
死没 文政10年5月16日1827年6月10日
改名 継忠→積興
戒名 天涼院從三位淸月樹観居士
墓所 龍源寺(京都市右京区鳴滝音戸山町11-59)
官位 従三位・縫殿頭
氏族 伴姓⇒大伴姓尾崎家
父母 尾崎正殖
尾崎春房
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尾崎 積興(おざき つむおき)は、江戸時代後期の官人官位従三位縫殿頭桂宮家諸大夫を務め、大伴氏の氏人として伴保平以来875年ぶりに公卿となった。

宝暦11年(1761年)3月に桂宮家侍として従六位下縫殿大允に叙任されるが、同年5月に辞官・位記返上の上で改めて桂宮家諸大夫として正六位下左衛門少尉に叙任された。翌宝暦12年(1762年大和守に遷る。

明和5年(1768年)2月に従五位下叙爵すると、同年7月に名を継忠から積興へと改め、翌明和6年(1769年)伴姓から旧姓の大伴姓に戻した。のち、大和守を帯びながら、天明5年(1785年玄蕃頭、天明7年(1787年)縫殿頭に任官され、この間の天明6年(1786年従四位下に叙せられている。寛政4年(1792年尾崎家の人物として初めて従四位上に昇り、寛政10年(1798年正四位下への叙位を受けた。

文政8年(1825年)正月に官職を辞す。同年2月に従三位に昇叙され、平安時代中期の伴保平以来大伴氏(伴氏)の氏人として875年ぶりに公卿に昇った。文政10年(1827年)5月16日に薨去し、龍源寺に葬られた[1]

官歴

脚注

参考文献

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