尾崎積興
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宝暦11年(1761年)3月に桂宮家侍として従六位下・縫殿大允に叙任されるが、同年5月に辞官・位記返上の上で改めて桂宮家諸大夫として正六位下・左衛門少尉に叙任された。翌宝暦12年(1762年)大和守に遷る。
明和5年(1768年)2月に従五位下に叙爵すると、同年7月に名を継忠から積興へと改め、翌明和6年(1769年)伴姓から旧姓の大伴姓に戻した。のち、大和守を帯びながら、天明5年(1785年)玄蕃頭、天明7年(1787年)縫殿頭に任官され、この間の天明6年(1786年)従四位下に叙せられている。寛政4年(1792年)尾崎家の人物として初めて従四位上に昇り、寛政10年(1798年)正四位下への叙位を受けた。
文政8年(1825年)正月に官職を辞す。同年2月に従三位に昇叙され、平安時代中期の伴保平以来大伴氏(伴氏)の氏人として875年ぶりに公卿に昇った。文政10年(1827年)5月16日に薨去し、龍源寺に葬られた[1]。