屋内町
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屋内町 | |
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屋内町(赤い線の左側)と池上町(2008年) 出典:『国土交通省「国土画像情報(モノクロ空中写真)」(配布元:国土地理院地図・空中写真閲覧サービス)』 | |
| 北緯34度28分41.0秒 東経136度49分29.8秒 / 北緯34.478056度 東経136.824944度 | |
| 国 |
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| 都道府県 |
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| 市 |
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| 地区 | 鳥羽地区 |
| 町名制定 | 1974年11月1日[1][2] |
| 面積 | |
| • 合計 | 0.083304276 km2 |
| 標高 | 15.1 m |
| 人口 | |
| • 合計 | 341人 |
| • 密度 | 4,100人/km2 |
| 等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
| 郵便番号 | |
| 市外局番 | 0599[6] |
| ナンバープレート | 三重[7] |
| 自動車登録住所コード | 24 510 0262[8] |
| ※座標・標高は鳥羽市中央公民館屋内分館(屋内町5番16号)付近 | |
屋内町(やないちょう)は、三重県鳥羽市の町[9][10]。山林を切り開いた新興住宅地である[11]。住民基本台帳に基づく2019年(令和元年)12月31日現在の人口は341人[4]、2015年(平成27年)10月1日現在の面積は0.083304276 km2[3]。郵便番号は517-0013である[5]。
小・中学校の学区
歴史

屋内町に相当する地域に宅地はなく、耕地である。
出典:『アメリカ軍(配布元:国土地理院地図・空中写真閲覧サービス)』
1964年(昭和39年)より「堅神団地」として開発が始まり[15]、同時期に「黒田団地」の開発も始まった[16]。1967年(昭和42年)9月1日[1][2]、堅神団地の大部分が独立し池上町が成立した[1][17]。これに遅れること7年後、1974年(昭和49年)11月1日に[1][2]黒田団地および堅神団地の一部を堅神町から分離し、屋内町が成立した[11]。同時に住居表示が実施された[1][2]。また同時に、池上町の範囲が拡張されている[18]。屋内町発足時の人口は224人であった[16]。
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、答志郡鳥羽町大字堅神となる。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 答志郡が英虞郡と合併し、志摩郡鳥羽町大字堅神となる。
- 1954年(昭和29年)11月1日 - 昭和の大合併により、鳥羽市堅神町となる。
- 1974年(昭和49年)11月1日 - 新町名制定により、鳥羽市屋内町となる[1][2]。
人口の変遷
| 1974年(昭和49年)[16] | |
| 1975年(昭和50年)[19] | |
| 1980年(昭和55年)[19] | |
| 1990年(平成2年)[19] | |
| 2000年(平成12年)[19] | |
| 2010年(平成22年)[19] | |
| 2019年(令和元年)[20] |
町名の由来
町名の制定前は、黒田団地と通称されていた[12]。新町名制定に当たり、新町域の大部分が堅神町の小字屋内谷(やないだに)であったことにちなみ、屋内町と命名された[9]。
町名の変遷
| 実施後 | 実施年月日 | 実施前 |
|---|---|---|
| 屋内町 | 1974年(昭和49年)11月1日[2] | 堅神町(字 屋内谷・六ヶ所・赤坂・東越し・和所谷の一部) |
経済
2015年(平成27年)の国勢調査による15歳以上の就業者数は184人で、第一次産業が0人(0%)、第二次産業が40人(21.7%)、第三次産業が144人(78.3%)となっており、産業別では多い順に卸売業・小売業(36人・19.6%)、製造業(31人・16.8%)、宿泊業・飲食サービス業(23人・12.5%)、医療・福祉(18人・9.8%)、サービス業〔他に分類されないもの〕(16人・8.7%)の順になる[21]。
2014年(平成26年)の経済センサスによると、屋内町の全事業所数は9事業所、従業者数は40人である[22]。具体的には建設業が3、小売業が2、不動産賃貸業・管理業、専門サービス業(他に分類されないもの)、娯楽業、廃棄物処理業が各1事業所となっている[22][23]。全9事業所のうち5事業所が従業員4人以下の小規模事業所である[23]。