屋須弘平
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1846年、岩手県一関市藤沢町藤沢に生まれた[1][4]。父は蘭学医の尚安[1]。幼少期より父から蘭学を学び、1863年、15歳で上京し叔父より漢学を学ぶ[1]。その後医学や天文学などを修学し、1868年に帰郷[1]。3年ほど医業に携わり、再び上京[1]。
1874年に神奈川県横浜市で通訳として金星観測を行った著名なメキシコン人天文学者コバルビアス率いるメキシコ科学調査隊との出会いをきっかけとして、メキシコへ渡った。その後、終の棲家となったグアテマラで写真術に興味を持ち、ドイツ人写真家バーブルガーのもとで写真を学び、1880年にグアテマラシティに自らの写真館«Fotografía Japonesa»を開いた[3]。その後すぐにアンティグア・グアテマラに移り、新しい肖像写真館を開設した。スタジオ内でグアテマラの人々を撮影したり、建築や風景写真を撮影したりした[3]。熱心なキリスト教信者であり、洗礼名を「Juan José de Jesús de Yas」とした[3]。グアテマラで写真術を習得し、主にアンティグア・グアテマラで写真家としてのキャリアを築いたため、日本での写真創成期に名を残すことはなかったが、グアテマラ国内では高評価を受けている[3]。
1891年にグアテマラ人のマリア・ノリエガ(María Noriega)と結婚している。

1917年11月29日にアンティグア・グアテマラで死去した。