山上武夫
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山上の実家は骨董商を営んでいた。出身地の信州松代は、上田から移封した真田松代藩の居城があった城下町で、骨董品も多く、佐久間象山をはじめ偉人を輩出し、文化度も高かった。この地に、童謡唱歌関係だけでも山上のほかに、草川信、海沼實、坂口淳、近くに中山晋平、高野辰之、浅原鏡村などが輩出したのである。山上は故郷松代の先輩草川信の活躍や海沼實の動向に触発され、詩作を志し上京する。草川宅を訪れた山上は、当時音羽ゆりかご会を創設(1933年)したばかりの海沼實と偶然の対面を果たし、以後山上は海沼と共に歩むことになる。この辺のところを山上は自伝で『同郷ということもあって、海沼先生に寄り添う形の歩みを続けた。喜びも悲しみも同一の部分が大きく、想い出も多い』というようなことを述べている。海沼實との師弟関係は終生続き、1969年(昭和44年)にはコンビの曲「うまれたきょうだい11にん」が第11回日本レコード大賞童謡賞に輝いて新境地が開拓されようとした時、2年後の1971年(昭和46年)海沼の死去の報に接したのだった。
経歴
- 1943年(昭和9年)旧制松代商業学校卒業後、17歳で詩作を志し、姉をたよって上京。
- 1936年(昭和11年)NHKの童謡募集で『つららの兵隊』『この道ほそ道』が入選。
- 1937年(昭和12年)20歳。『この道ほそ道』が草川信の作曲によりラジオ放送される。数日後草川宅で海沼實と出会う。
- 1938年(昭和13年)5月童謡雑誌『ゆずの木』を創刊。 同年9月「お猿のかごや」を作詞、作曲は海沼實。
- 1939年(昭和14年)「お猿のかごや」ビクターにてレコード化。
- 1945年(昭和20年)「見てござる」 山上『昭和20年秋に書いた「見てござる」は、外に広く歌われた童謡がないらしく、この年を代表する童謡とされている』
- 1945年(昭和20年)帰郷していた松代から再上京を考えたが断念。以後書店を営みながら詩作続行。
- 1969年(昭和44年)「うまれたきょうだい11にん」が第11回日本レコード大賞童謡賞受賞。作曲は海沼實。
- 1987年(昭和62年)11月2日 死去。享年70。