山下三郎 (政治家)
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経歴
戦後、一時期は県職員として働いたり、農業に従事していた[3][5]。
1955年、25歳で宮内村議会議員となり、以降、合併などにより、廿日市町議会議員、廿日市市議会議員を歴任した後、1991年に廿日市市長に初当選し、以降4期を務めた[2][4]。この間、佐伯中央農協理事、道路管理会社社長、廿日市市議会議長、市土地開発公社理事長などの役職を歴任した[6]。
1991年の初当選、1995年の再選は、いずれも無投票での当選であった[7]。1999年の3選では共産党公認[6]、2003年の4選では無所属の対立候補に、いずれも大差をつけて当選した[8]。
山下は、被爆者としての証言活動を、市長になる前から、長く続けていたが[3]、市長在任中も、「被爆市長」として、小学校や、各種の集会に出向いて被爆体験講演を続け、2005年には、国連本部における核不拡散条約 (NPT) 再検討会議の際に、日本非核宣言自治体協議会副会長としてニューヨークに出向き、被爆体験を語った[4][5]。また、近隣に位置する岩国基地の増強には反対の姿勢を貫いた[9]。
山下市政の時代には、自由民主党から新社会党まで、ほぼオール与党という体制の下で、広島県西部のベッドタウンとしての人口増、平成の大合併による市域の拡大などを受け、大規模な公共事業が多く取り組まれたが、それによって市の財政は悪化したとされる[10][11][12][13]。後継の市長には、副市長だった眞野勝弘が当選した[13]。
日本赤十字広島看護大学の誘致や[6]、二次にわたる広域合併を通した市域の拡大も、市長在任中の業績に挙げられる[3]。