山中千之
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青森県弘前市笹森町生まれ[3]。1896年青森県第一尋常中学校(現青森県立弘前高等学校)卒業[3]。1900年高等商業学校(現一橋大学)本科卒業[4]。1902年同専攻部銀行科卒業[5]。
同期に出淵勝次元駐米大使、鈴木榮作元シドニー総領事、高嶋菊次郎元中支那振興総裁、上田貞次郎元帝国学士院会員など[6]。また、在学中青森県出身学生のための寮として初めて東京に設立された修養社で佐藤尚武元外務大臣とともに住み、佐藤はのちに山中の紹介で山中の叔父佐藤愛麿の娘婿となった[7]。
1903年在ホノルル領事館領事官補[8]。1906年在フランス大使館三等書記官[3]。1908年在アンヴェルス領事[9]。1912年臨時外務省事務従事、大臣官房電信課兼人事課臨時勤務(領事)[10]。1913年在ベルギー公使館二等書記官[11]。
1914年駐ベルギ―臨時代理公使[12]。同年在スウェーデン公使館二等書記官[13]。1918年臨時外務省事務従事、大臣官房文書課長心得、官報報告主任、統計主任(公使館一等書記官)[14]。
平和条約実施委員・総領事も務め[15]、1921年から在ベルギー大使館参事官[16]。1923年に依願退官後[17]、柳田國男の後任として1924年から1928年まで国際連盟委任統治委員会委員を務めた[18][19][20]。1937年に引退後、太平洋戦争中に弘前に疎開し、日本の降伏後は帰京し、1949年に死去した[2]。