山中日露史
From Wikipedia, the free encyclopedia
北海道室蘭郡室蘭町(室蘭区を経て現室蘭市)で生まれる[1]。1927年(昭和2年)中央大学法律科を卒業し、弁護士を開業した[1][2][3]。
室蘭市会議員(2期)、北海道会議員(2期)、同参事会員に在任した[1][2][3]。1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で北海道第4区から日本社会党所属で出馬して当選[1][2][3]。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙では落選した[4]。第25回、第26回総選挙で当選[2][5]。1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙では次点で落選した[6]。その後、第28回から第30回総選挙まで3回連続で当選[2][7]。1967年(昭和42年)1月、第31回総選挙には出馬せず引退し[3][8]、衆議院議員に通算6期在任した[1][2][3]。
その他、北海道総合開発調査委員、家事調停委員、民事調停委員、北海道地方労働委員会長[1]、裁判官訴追委員[1]、北海道開発審議会委員、検察官適格審査会予備委員、裁判官弾劾裁判所裁判員、選挙制度審議会特別委員、日本社会党統制委員長代理、同綱紀粛正副委員長、同北海道日胆地区協議会議長、同室蘭支部顧問、同両院議員総会副会長、同代議士会副会長、同院内役員会副会長などを務めた[2]。
社会党選挙制度調査特別委員長の在任中に選挙ポスターの制限に尽力した[3]。弁護士として誠実な活動を行っていたが、口頭弁論中に病のため倒れて死去した[3]。
