山中幸盛の長男である山中幸元の長男として生まれた。元和5年(1619年)に、山中家(鴻池屋)の始祖である父の幸元は、大坂・久宝寺町松屋町に出て酒造業をなして出世し、豪商となった。しかし清直は、慶長19年(1614年)に早くも家を出て分家し、「小濱山中家」と名乗り、小浜字市場東南角の扇屋を買い取り酒造業を営んだ。酒造業の販路の拡大に努めた為、小浜の清酒は江戸で評判となり、その名は全国に知れ渡った。大坂から妻・於コノを娶るも、寛永4年(1627年)3月3日に死去した為、後妻・於マサと再婚した。
山中家はその後、2代目山中六兵衛幸利、3代目山中吉兵衛まで酒造業を営むも、4代目山中宗兵衛の代から山中良和と称して医者の道を進み、酒造業を廃業した。