山城国京都で勘解由次官・山井氏胤の長男[注 1]として生まれる[1][3]。1884年(明治17年)5月30日、父が廃嫡となり、同年7月8日、養祖父・伯父山井氏暉の隠居に伴い家督を継承[1][3]。同年7月8日、子爵を叙爵[1][3][4]。1887年(明治20年)10月、兼文に改名した[3]。
1886年(明治19年)5月、明宮(大正天皇)家祗候に就任[2][3]。以後、久宮家雇、爵位局雇などを務めた[2][3][5]。
1897年(明治30年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[6][7]、1906年(明治39年)3月2日に辞任[8]するまで2期在任した[2]。墓所は青山霊園。