山元一郎

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山元 一郎(やまもと いちろう、1910年9月14日 - 1972年7月7日[1])は日本の哲学者、言語哲学者。立命館大学教授。

鹿児島県国分市霧島市)出身[2][3]。鹿児島県立第一鹿児島中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校)を経て[2]、1927年4月に第三高等学校文科へ入学し、6月に退学[2][4]1928年4月に第七高等学校造士館理科へ入学、1931年3月に卒業[4]。1931年4月に京都大学文学部哲学科へ入学し[2][4]田邊元に師事[3]1934年3月に京都大学文学部哲学科を卒業して、同年4月から1936年3月まで大学院在学[2]

1936年4月~1938年3月[4]立命館大学専門部講師[2]。1938年4月~1940年3月、京都帝国大学附属図書館嘱託[2][4]。1940年4月~1945年10月、旅順工科大学予科教授[4]。1945年11月、立命館大学予科教授に就任(1946年5月から立命館大学講師を兼任)[4]1947年4月、立命館大学文学部教授に就任(立命館大学予科講師、専門学校教授を兼任)[4]。立命館大学の図書館長(1953年4月~1956年7月[2])や人文科学研究所長(1962年10月~1964年4月[2])も歴任した[3]1965年4月から立命館大学産業社会学部教授、1970年4月から再び立命館大学文学部教授[4]1970年8月6日、脳血栓による失語症の状態となり、京都府立医科大学附属病院に入院[2]1971年4月教壇に復帰[2]肺がんを発病して1971年11月4日に京都府立医科大学附属病院へ入院、1972年2月26日に退院、5月9日がんの再発により再び同病院へ入院[2]。1972年7月7日未明、肺がんのため61歳で死去[2]

東洋学者の内藤湖南は妻の父[3]

学風

戦後最初の分析哲学科学哲学言語哲学の開拓者の一人である。山元の研究テーマは戦前の実存主義ニーチェ)、戦後の科学哲学(パスカルデューイ)、言語哲学(ヴィトゲンシュタイン)へと変化していった[5]。『空虚と実験』(1972年)と『コトバの哲学』(1965年)はそれぞれ戦後の研究テーマを代表する著作である。早すぎる死が山元哲学の発展を疎外することになった。

著書

単著

  • 『ニーチェ』弘文堂、1940年
    • 改訂版『ニーチェ』法律文化社、1970年
  • 『ミケルアンジェロの怖れ――歴史的実存のパトス』弘文堂、1946年
    • 改訂版『ミケランジェロの怖れ』法律文化社、1970年
  • 『近代思想の課題――実験的精神』法律文化社、1952年
    • 改訂新版『空虚と実験――近代科学の精神とその論理』法律文化社、1972年
  • 『コトバの哲学――感性・言語・論理』岩波書店、1965年

共著

  • 『現代学問のすすめ』有信堂、1966年
  • 『文学のなかの人間』雄渾社、1967年
  • 『言語』岩波講座哲学第11巻、岩波書店、1968年
  • 『続・学問の周辺』有信堂、1971年

編著

  • 『ラッセル、ウィトゲンシュタイン、ホワイトヘッド』世界の名著第58巻、中央公論社、1971年

共編著

  • 『思想と人間――市民社会の動きにそって』福村出版、1968年

訳著

  • ニーチェ『識られざる神――ニイチエ訳詩集』弘文堂、1941年
  • リュカス・コレルス『スピノザの生涯』アテネ新書、弘文堂、1949年
  • ウィトゲンシュタイン「論理哲学論」『ラッセル、ウィトゲンシュタイン、ホワイトヘッド』世界の名著第58巻、中央公論社、1971年
    • 普及版 ウィトゲンシュタイン『論理哲学論』中公クラシックス、中央公論新社、2001年

脚注

参考文献

関連項目

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