山内隆博
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静岡県磐田市出身[1][2]。3歳で新宿区大久保に移る。少年期は野球に打ち込んだ。1938年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に住友銀行に入行し、名古屋支店に勤務するもわずか半年で応召。近衛歩兵第1連隊に入営して間もなく甲種幹部候補生に合格し、盛岡陸軍予備士官学校に入学。原隊復帰後、初年兵教育を担当したのち防衛総司令部参謀附に転属。これで戦地に赴くことはないと思い1941年10月に結婚するも間もなく、11月3日に第16軍編成人員に転属、南方へと派遣される[3][4]。移動中、乗船していた神州丸が雷撃で大破しながらも船にとどまり、2000ギルダーの軍資金を肌身離さず守り抜いた。他の軍資金はすべて水没してしまい、これが第16軍唯一の軍資金となった[5]。ジャワに上陸後、軍政部長原田義和少将副官としてジャカルタに入り、オランダ市民兵の武装解除を行った[6]。司令部勤務中は大宅壮一とも度々会っている。1944年2月に召集解除となるも9月に再召集され、名古屋師団司令部附[7]。終戦時は陸軍大尉。
復員後、名古屋支店長、取締役、本店支配人などを歴任[1]。
1964年11月に大和証券専務に就任し、1965年11月に副社長を経て、1970年11月に社長に就任[1]。1974年7月に会長に就任し、1982年から相談役を務めた[1]。1978年から1980年までに日本証券業協会会長も務めた[2]。