山内隆博 From Wikipedia, the free encyclopedia 山内 隆博(やまうち たかひろ、1915年3月3日 - 1990年10月6日)は、日本の経営者。大和証券社長を務めた。 静岡県磐田市出身[1][2]。3歳で新宿区大久保に移る。少年期は野球に打ち込んだ。1938年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に住友銀行に入行し、名古屋支店に勤務するもわずか半年で応召。近衛歩兵第1連隊に入営して間もなく甲種幹部候補生に合格し、盛岡陸軍予備士官学校に入学。原隊復帰後、初年兵教育を担当したのち防衛総司令部参謀附に転属。これで戦地に赴くことはないと思い1941年10月に結婚するも間もなく、11月3日に第16軍編成人員に転属、南方へと派遣される[3][4]。移動中、乗船していた神州丸が雷撃で大破しながらも船にとどまり、2000ギルダーの軍資金を肌身離さず守り抜いた。他の軍資金はすべて水没してしまい、これが第16軍唯一の軍資金となった[5]。ジャワに上陸後、軍政部長原田義和少将副官としてジャカルタに入り、オランダ市民兵の武装解除を行った[6]。司令部勤務中は大宅壮一とも度々会っている。1944年2月に召集解除となるも9月に再召集され、名古屋師団司令部附[7]。終戦時は陸軍大尉。 復員後、名古屋支店長、取締役、本店支配人などを歴任[1]。 1964年11月に大和証券専務に就任し、1965年11月に副社長を経て、1970年11月に社長に就任[1]。1974年7月に会長に就任し、1982年から相談役を務めた[1]。1978年から1980年までに日本証券業協会会長も務めた[2]。 1979年11月に藍綬褒章を受章し、1985年11月に勲二等旭日重光章を受章[1][2]。 1990年10月6日、肝不全のために死去[8]。75歳没。 脚注 [脚注の使い方] 1 2 3 4 5 人事興信所 1985, や87頁. 1 2 3 現代物故者事典 1988-1990 p629 ↑ 亀岡 1973, p. 184. ↑ 「ジャワの青春」『私のアルバム』、中部経済新聞社、460頁、1966年。NDLJP:3016072/479。 ↑ 亀岡 1973, p. 216. ↑ 亀岡 1973, pp. 218–223. ↑ 大隈秀夫「人間味あふれる大将の風格 山内隆博」『素顔の社長』、双葉社、299-301頁、1973年。NDLJP:11939014/153。 ↑ 1990年 10月8日 日本経済新聞 朝刊 p35 参考文献 人事興信所 編『人事興信録 第33版 下』人事興信所、1985年。 亀岡大郎『財界人太平洋戦記』文芸春秋〈上〉、1973年。NDLJP:12489497。 先代安部志雄 大和証券社長第7代: 1970年 - 1974年 次代菊一岩夫 先代渡辺省吾 日本証券業協会会長第4代:1978年 - 1980年 次代北裏喜一郎 Related Articles~TimelinesTop QsFact Checks