山前王 From Wikipedia, the free encyclopedia 山前王(やまくまおう/やまくまのおおきみ、生年不詳 - 養老7年12月20日(723年1月20日))は、飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族。天武天皇の孫。知太政官事・忍壁皇子の子。官位は従四位下・刑部卿。 慶雲2年(705年)6月に父の知太政官事・忍壁皇子が没すると、同年12月に山前王は二世王の蔭位により従四位下に直叙される。その後、刑部卿などを歴任したが[1]、目立った事績がないまま養老7年(723年)12月20日卒去。最終官位は散位従四位下。 人物 『万葉集』に、兄弟の石田王が没した際に詠んだ挽歌1首(一説では柿本人麻呂作)と[2]、紀皇女が没した際に石田王に代わって詠んだ挽歌2首の[3]、合わせて3首の和歌作品が採録されている。『懐風藻』にも漢詩作品1首が採録されている。 官歴 『続日本紀』による。 慶雲2年(705年) 12月27日:従四位下(直叙) 時期不詳:刑部卿 養老7年(723年) 12月20日:卒去(散位従四位下) 系譜 父:忍壁皇子 母:不詳 妻:栗前氏 女子:池原女王(栗前枝女)[4] 生母不詳 男子:葦原王[5] 天平宝字5年(761年)に子息の葦原王は殺人を犯したために、龍田真人姓を与えられ、臣籍降下させられている。 脚注 ↑ 『懐風藻』 ↑ 『万葉集』巻3-423 ↑ 『万葉集』巻3-424,425 ↑ 『続日本紀』宝亀11年8月7日条 ↑ 『続日本紀』天平宝字5年3月24日条 参考文献 宇治谷孟『続日本紀 (上)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年 宇治谷孟『続日本紀 (中)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年 宇治谷孟『続日本紀 (下)』講談社〈講談社学術文庫〉、1995年 Related Articles