山口亮一 From Wikipedia, the free encyclopedia 山口亮一旧宅。江戸後期に建てられたと推定(推定築200年超)。佐賀市与賀町に所在。 山口亮一旧宅[1] 山口 亮一(やまぐち りょういち、1880年8月10日 - 1967年10月30日)は、日本の洋画家。佐賀市精町出身。 東京美術学校(現・東京芸術大学)卒業。大学卒業後、帰郷し制作と後進の指導にあたる。久米桂一郎、岡田三郎助、北島浅一、御厨純一らと佐賀美術協会を創設。同協会会長、佐賀師範学校教諭を務めた。 1880年(明治13年) 鍋島藩の名家であった中野家に生まれる。幼名は辰三。実父は銀行頭取などを務めた中野致明[2]。 1886年(明治19年) 蘭学医・山口亮橘(りょうきつ)の養子となり亮一と改名[3]。 1903年(明治36年) 黒田清輝主宰の白馬会に入所。 1906年(明治39年) 東京美術学校西洋画科入学。 1910年(明治43年) 第4回文展初入選(わら家)。 同年山口スガと結婚。 1911年(明治44年) 東京美術学校卒業、帰郷して一生佐賀に住み制作と後進の指導にあたる。 1913年(大正 2年) 久米桂一郎、岡田三郎助、北島浅一、御厨純一などと佐賀美術協会を創設する。後援団体会長に実父の中野が就任のほか、財界人が支援した[3]。 1920年(大正 9年) 第2回帝展入選(燈下の静物)宮内省買上を賜る。 1921年(大正10年) 佐賀県師範学校に奉職、昭和18年退職まで23年間美術教諭を勤める。 1922年(昭和11年) 帝展無鑑査になる(菊花)。 1946年(昭和21年) 佐賀美術工芸研究所を開設し陶磁器美術指導にあたる。 1966年(昭和41年) 勲四等に叙せられ、瑞宝章を受く。 1967年(昭和42年) 87歳で永眠。 脚注 [脚注の使い方] ↑ 山口亮一旧宅 - 佐賀市 ↑ 山口亮一(読み)やまぐち りょういちコトバンク 1 2 山口亮一支援者の実像をパネル、写真などで振り返る佐賀新聞、2018/6/7 外部リンク 山口亮一旧宅ホームページ 典拠管理データベース VIAF Related Articles