山口大神宮
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豊受大御神
| 山口大神宮 | |
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| 所在地 | 山口県山口市滝町4-4 |
| 位置 | 北緯34度11分5.2秒 東経131度28分5秒 / 北緯34.184778度 東経131.46806度座標: 北緯34度11分5.2秒 東経131度28分5秒 / 北緯34.184778度 東経131.46806度 |
| 主祭神 |
天照大御神 豊受大御神 |
| 社格等 | 県社 |
| 創建 | 永正17年(1520年) |
| 本殿の様式 | 神明造 |
| 別名 | 高嶺神明、高嶺太神宮、高嶺神社、今伊勢、西のお伊勢さま |
| 地図 | |
永正17年(1520年)、大内氏30代目の大内義興が伊勢神宮の神霊を勧請して創建したものである。
永正5年(1508年)6月、大内義興は山口に逃げてきた前将軍・足利義稙を奉じて上洛し、以降11年間京都に滞在し、管領代として幕政を執行した。その間の永正11年(1514年)、義興は伊勢神宮に参拝し、永正15年(1518年)8月に山口へ戻ると前例のない勅許を賜った上での皇太神宮、豊受大神宮の山口への勧請をしたいと思ったという。義興は、山口に帰国してすぐに伊勢神宮を勧請するための準備を始めた。伊勢神宮を勧請するための土地を探して、現在地の高嶺東麓を社地に定め、すぐに社殿建立を開始した。永正16年(1519年)11月3日に外宮、永正17年(1520年)4月8日に内宮を造営すると、吉田神社を通じて天皇に伊勢神宮勧請の許可を求め、後柏原天皇の勅許を得、て同年6月29日神宮の御師 高向二頭大夫光定により伊勢神宮の神霊を勧請、鎮座した[1][2]。当初は高嶺神明と称していたが、後柏原天皇から「高嶺太神宮」、後陽成天皇から「伊勢」の御宸筆勅額が授けられ、高嶺太神宮、今伊勢と呼ばれるようになった。式年遷宮は伊勢神宮遷宮前後相論に配慮し1540年に外宮・内宮同時に行われている。
当時の伊勢神宮は幕府の神宮頭人の力が及ばなくなり、全国の荘園から届く役夫工米が滞納された事により慢性的な財政難に陥り、外宮は1434年内宮は1463年より式年遷宮が中断していた。その反面、庶民による伊勢信仰は広まり南北朝時代頃よりには飛び神明といわれる伊勢神宮の勧請が流行し各地に神明神社が創建されていた。高嶺大神宮の勧請もそうした流れを受けたものであったが、江戸時代まで、伊勢神宮より勅許を得て神霊の勧請を受けたのは日本中で当社だけであった[注釈 1]。江戸時代に伊勢信仰が盛んになると、山口大神宮には特に西日本各地から多くの参拝者が訪れるようになった。今も参道脇には多くの「日参一万日成就」の石碑が残る。
昭和3年、県社に列せられ、社名を高嶺神社とした。昭和22年に現在の山口大神宮に改称した。
境内
祭事
文化財
交通アクセス
- 山口駅からバスで約5分、県庁前バス停下車。徒歩約5分。
- 山口駅から徒歩約25分