大阪市立工芸学校(現在の大阪市立工芸高等学校)卒業後[1][2]、阪急百貨店に入社する[1][2]。後に退社し、1953年(昭和28年)に高島屋に入社するも後に独立してフリーランスとしての活動を始めた[2]。この頃にデザイナーとしての活動を初め、主に雑誌の表紙やポスターのデザインを担当し数多くの受賞歴を持った[1][2]。
1960年(昭和35年)には同じデザイナーで親交のあった原弘や亀倉雄策らと共に日本デザインセンターの設立に携わる[1][2]。山城の作品は国際的にも知られており[2]、チェコスロバキアで開催されたビエンナーレにて自身の作品が出品されノミネートされた[2]。