山宮鼎

From Wikipedia, the free encyclopedia

山宮 鼎(さんぐう かなえ、1877年明治11年〉6月5日[1][2] - 1951年昭和26年〉11月6日[3])は、日本内務官僚名古屋市助役

山形県東置賜郡高畠町出身[1]米沢藩士の山宮咸一の長男として生まれる。山形中学校出身[4]1905年(明治38年)、早稲田大学法律科を卒業し、文部属となり[1][2]普通学務局に配属された[5]1907年(明治40年)11月[5]文官高等試験に合格[1][2]東京府属、三重県事務官長崎県事務官、鳥取県警察部長北海道庁警察部長栃木県内務部長を経て、1920年大正9年)に神奈川県産業部長に就任した[1][2]。その後、内務監察官を経て、1924年(大正13年)に退官した[1]

その後、名古屋市助役を1927年(昭和2年)まで務めた[6]

親族

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI